書籍詳細:コルナイ・ヤーノシュ自伝
コルナイ・ヤーノシュ自伝 思索する力を得て
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内容紹介
目次
父のこと
家族のこと
ドイツ帝国学校
精神の彷徨
1944年:父の運命
1944年:私の逃亡
共産党への親近度
1944年トラウマへの反動
精神的変革、共産主義者の政治思想の受容
カリスマ的な人々
共同体への帰属
偶然の効果と能力
急速な昇進
ヴォランティア精神
編集局の日々
実経済から学んだもの
知的荒廃
倫理的釈明
「新時代」
監獄から戻った友人たち
啓発的な会話と読書
初めての「命令拒否」
ナジ・イムレの著書
「自由な人民」編集局の反乱
「自由な人民」時代の終焉
先行事情
精神的衝動
マルクス政治経済学との決別
研究生活の開始
論文の主要な命題
著書への反応
政治的背景
ナジ・イムレの新プログラム
「マジャールの自由」
虐げられた日々
『経済管理の過度集権化』への批判
研究所からの追放
監獄の影を背負った自由
友情と連帯
自己研鑽
ランゲ-ハイエク論争
軽工業の研究
「一線を画す」
袋小路
人生の決断
リプターク・タマーシュとの出会い
利潤分配の数学的検証
繊維工業の計画化
二水準計画化
中央計画化の理想モデル
国民経済計画化の出発的原理
コンピュテーション
意味有りや?
数学者との協働
先行した出来事
英国ケンブリッジ
ロンドン経済大学
諜報部員の報告から
旅行と外国出版のメモワール
謀略の失敗
出版にいたる経緯
著書執筆の動機
類似性への思索
一般理論から期待されるもの、期待されないもの
合理的意思決定者
非価格的シグナル
均衡、買い手市場、売り手市場
政治的視点から解釈した一般均衡理論
科学における改革、革命
最初の反応、長期の影響
書いて良かった?
主観的なコメント
経済科学分野の公的な第一人者
何もなかったかのように
信頼と忍耐
挫折した研究所改革
禁じられた教育活動―それでも教育した
アカデミー会員になった事情
アカデミー会員の特権
強いられた成長か、調和的成長か
英国ケンブリッッジへの招聘
腰までギプス-ケインズとハーシュマン
プリンストンでの講義
スタンフォードとワシントン
自律的制御
きしむ適応機械
新しい住居の完成
市場化改革―カルカッタ毛沢東主義者の見解
刺激的な環境
著書のメッセージ
自己検閲
校閲
最初の反応
「不均衡」学派との討論
「ソ連正統派経済学者」との討論
体制腐食化への貢献
出版の政治的・倫理的ディレンマ再論
概念の意味と意義
先行事情
経験による証明
現象の数学モデル化
最初の総括論文のこと
そして、出来事の教訓
半ば実現し、半ば消滅した希望
ナイーヴな改革者から批判的分析家へ
「何を為すべきかを言う代わりに」
効率性と社会主義倫理
所有権の重要性
ランゲ・モデルとハンガリー改革の現実
回り道:もうひとつのハンガリーの現実
今から回顧してみれば
プリンストン高等研究所
ハーヴァード大学教授招聘事情
ケンブリッジへの引っ越し
講義の喜びと難しさ
多様性と寛容
倫理的厳格さ
ハンガリーに繋げるもの
日常生活の比較:ケンブリッジとブダペスト
世界文化のひとつの中心
友人たち
ヨーロッパと世界の経済学者の共同体
中国への旅行
どこが我が家
著書執筆の経緯
総括を意図する
実証分析と諸価値
一般理論
遅すぎた? それとも、早すぎた?
東と西からの評価
そして、右と左からの批判
ある不快なエピソード
予測の限界
決断
『感情的ビラ』出版の経緯
最初の反応
スィミュレーションはもう沢山だった
民間セクターの健全な発展のために
公的資金に対する責任
安定化のための手術
収支バランス
ハンガリーのマクロ経済政策に対する見解
医療改革について
「質問に来るか、君の意見を聞くか?」
実際の効果
金融政策決定への参加
他国の体制転換
体制転換の解釈
期待と失望、悲観主義と楽観主義
コレギウム・ブダペスト
人生のインターメゾ:70歳の誕生日
ハーヴァード大学:講義と別離
我が家のオフィス
「何をしている?」