書籍詳細:出産施設はなぜ疲弊したのか
出産施設はなぜ疲弊したのか 日母産科看護学院・医療法改定・厚生諸政策のあゆみ
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内容紹介
社会問題化している出産施設の減退。それには、違法な介助者養成施設=日母の40年もの存続と厚生政策の不適切さが与っている。
目次
はしがき
序章 出産をとりまく様々な環境
第1節 本書の問題意識と課題
1.なぜ生まれにくい社会・産みにくい社会に?
(1)助産環境・医療環境政策とその問題点
(2)ユーザーの関心と知識
(3)医療・医療者と向き合う
2.本書の課題と方法
(1)本書課題
(2)本書で用いる文献・資料
第2節 法的に認められた出産方法とその変容
1.五つの選択肢
2.各選択肢の根拠となる法律
(1)産婆規則・医制76条からの出発
(2)2007年3月までの「医療法」の構造と出産
(3)「医療法」第19条の解釈をめぐって
3.助産師の職能と業務範囲
4.医師と助産師の関係とヘゲモニー
第3節 なぜ出産は施設化されたのか
1.高度経済成長期と出産施設の増減
(1)第2次世界大戦後の出産施設の変動と三つの疑問
(2)出産施設の増減と就業助産婦の激減
2.出産の施設化を促した高度経済成長期の諸政策
3.出産の施設化を醸成した厚生省「母子健康センター事業」
(1)二つの政策目標
(2)「母子健康センター事業」は何をもたらしたか
第4節 助産から分娩管理・母子管理への方針転換
1.助産婦の減少と労働実態
2.「助産婦制度委員会」の発足とその懇談内容
3.助産婦制度委員会から母子管理委員会へ
(1)委員会の果てしないビジョン
(2)出産に対する主体の転換
第1部 診療所と日母産科看護学院の半世紀
第1章 日母産科看護学院の分析と先行研究
第1節 日母母性保護醫協会(日母※ニチボ)の時期区分と先行研究
1.日母という名称と会報
2.日母の結成と「優生保護法」制定
3.『日母会報』誌の資料分析と時期区分:1949年から2013年まで
第2節 日母産科看護学院に関する先行研究・問題意識
1.日母に対する批判:1979年・1989年
(1)藤田真一・大林道子らの言及
(2)衆議院内閣答弁書と諸研究
2.第2次世界大戦後の医療・医療者改革の概要:GHQ・日本政府と助産婦・看護婦・保健婦
(1)GHQ主導の「保健婦助産婦看護婦法」とその特徴
(2)日本政府による保助看法の一部改定
(3)職能団体の再編
(4)助産師養成・教育の変化
第2章 日母産科看護学院の半世紀
第1節 第1期:助産補助要員育成への準備期
1.日母による5回の要望:制度改正・准助産婦など
(1)「助産婦養成制度の一部改正」提案
(2)日母佐賀県支部から准助産婦という提案
(3)苦心の助産婦制度改正案
(4)愛知県支部浅井の提案と助産婦不足対策
(5)日母代議員大会での要望
2.厚生省の見解:助産婦は不足していない
(1)日母の要望に対する厚生省の見解
(2)厚生省「母子健康センター事業」で助産婦活用を
3.看護婦不足問題の発生:1960年から
(1)積極的な厚生省の対応
(2)助産婦制度には再度、否定的な見解
4.なぜ日母は准助産婦・産科補助要員を必要としたのか
(1)森山の記録から
(2)遺稿となった森の本音
(3)学院創設の本意とは
第2節 第2期:愛知県支部の開所から全国的な学院基準づくりへ
1.准助産婦養成校の開所:日母愛知県支部から
(1)開所の理由
(2)規則と細則
(3)出産ケアのあり方の転換
(4)後続して開所した学院について
2.緊急問題、勤務助産婦不足の追い風
(1)勤務助産婦不足の加速
(2)日本産科婦人科学会からの要請をはずみにして
3.産科看護学院モデル基準の作成へ
(1)「初代案」と「産科看護学院モデル基準」
(2)モデル基準作成後の根回し
4.正常分娩を誰が担うのか:会報に記された質疑から
(1)正常分娩の担い手は誰か
(2)正常産は助産婦に任せよう
5.日母産科看護学院の全国統一基準制定
(1)全国統一基準
(2)加筆修正過程にみられた特徴
6.産科看護学院の開所に対する意見
(1)『助産婦雑誌』で企画された座談会
(2)勤務助産婦が働く産科医療現場とは
第3節 第3期:日母産科看護学院の全国展開とそれに対する批判
1.設立から四半世紀の概観
(1)学院の開所年・開所地域と卒業生数
(2)全国日母産科看護学院連絡協議会の開始
2.開所から10年を経て:ライセンス問題
(1)卒業生調査と聴講生(無資格者)
(2)ライセンス問題の背景
(3)開所10年後の日母の考え方
3.女性医療職の不足解消・資質向上対策と日母
(1)1974年の「看護婦需給5か年計画」と日母の対応
(2)准看護婦養成の中止を求める日本看護協会と日母の対応
4.日母批判の台頭
(1)『出産白書―3361人の出産アンケートより―』
(2)富士見産婦人科事件と日母
(3)産婦人科110番と日母
(4)朝日新聞記者藤田真一の批判内容
5.第3期のまとめ:開所から10年後・20年後の日母
第4節 第4期通期:全体像
1.学院基準等の改定・変更
(1)第1回目の改定
(2)第2回目の改定
(3)第3回目の改定(基準・カリキュラム変更・特別研修生の新設)
(4)第4回目の改定(養成から研修へ)
(5)第5回目の改定(日母産科看護婦・同准看護婦からコ・メディカルへ)
(6)日母・医会の名称変更
(7)基準改定前の出来事
2.日母産婦人科看護研修学院の終焉:2005年
3.学院の開所・休所数と入学・卒業者数
4.学院開所をめぐる医師の反省と疑問:助産、内診をめぐって
5.同時代の産の風景
6.医療事故の急増と日母の対応
第5節 第4-1期:無資格者の医療行為に対する綱紀粛正過程
1.厚生省・衆議院などによる日母への調査・問い合わせ
(1)厚生省による准看護婦の実態調査
(2)厚生省に対する日母の報告
(3)再び厚生省調査と立ち入り検査
(4)衆議院:阿部知子議員の質問主意書と総理大臣答弁書
(5)報道紙・被害者団体からの批判
(6)厚生労働省医政局長からの厳しい通知
2.日母から学院・卒業生等への注意喚起
(1)日母本部から学院への発信
(2)日母本部が全国に注意喚起することの重み
3.閉鎖が進む個人病・医院:野原士郎の1990年・2000年施設調査から
第6節 第4-2期:看護師・准看護師の助産行為に対する綱紀粛正過程
1.厚生労働省医政局長通知と日母
(1)学院存続に前向きな日母
(2)多発する産婦人科関連事故と厚生労働省の対策
2.助産・内診、診療の補助をめぐる問い合わせ
(1)第1回目の「助産」の定義について(鹿児島県保健福祉部長に対する厚労省看護課長の回答)
(2)南野千恵子議員に対する医政局長篠崎英夫の答弁
(3)第2回目の「助産・診療の補助」の定義(愛媛県保健福祉部長に対する厚労省看護課長の回答)
3.日母による産科看護学院用「分娩介助」の解釈
(1)定義・表現の推移
(2)日母の撤回要望と医療問題弁護団等からの反論
(3)日母産婦人科看護研修学院の本部からの廃止
第7節 日母産婦人科看護研修学院の廃止後
1.助産・内診、診療の補助をめぐる議論の再燃:2007年3月末
(1)医療法施行2日前に出された「厚生労働省医政局長通知」
(2)日本看護協会の対応
(3)日母の対応
(4)分娩関連団体と医政局長との懇談
2.日母産科看護婦の将来は
(1)日母の行動
(2)厚生労働省の行動・施策
第3章 日母産科看護学院の隆盛・衰退
第1節 第1期から第4期までの特徴
1.四つの期の概要
2.第1期:立ち上げ準備期にみる日母の要望とその質
(1)要望と質の低下
(2)出産に対する理念と医療専門職のとらえ方
3.第2期:基礎形成期における違法行為を含む基準づくり
4.第3期:進展期における学院数・卒業生数の増加と就業先
(1)学院数の増加と組織形成の整備・内容の充実
(2)日母の卒業生と診療所の関係
(3)医師を中心とした分娩管理チーム
5.第4期:衰退期における社会からの批判と2回の綱紀粛正
(1)衰退期の第1段階
(2)衰退期の第2段階
(3)衰退期の第3段階
第2節 誰のための出産医療か
1.医師がライセンスを与えるというプライド
2.日母産科看護学院の役回り
第2部 助産所・病院の疲弊と厚生省政策
第4章 助産所の疲弊と医療法第5次改定の経緯
第1節 医療法改定前の助産所関連調査
1.厚生労働科学研究:青野敏博らの総合的調査
青野を代表とするプロジェクト研究の概要
厚生省・厚生労働省のプロジェクト「健やか親子21」
2.助産所の意義を示す三つの調査
3.日母会員による助産所調査:可世木調査
(1)調査目的とその意図
(2)調査結果と可世木の「嘱託医師委属契約書(案)」
(3)可世木調査の問題点
第2節 医療法第5次改定に向けた検討会
1.「医療安全の確保に向けた保健師助産師看護師法のあり方検討会」(あり方検討会)の概要
(1)検討会の位置づけ
(2)検討会メンバー
2.検討会の各議題
3.議論の要点
(1)前半の検討会議
第1、2回検討会
第3回検討会
第4、5、6回検討会
(2)第7回検討会
(3)第9回検討会
(4)第12、13回時に出された意見書の概要
4.厚生労働省によるまとめとその推移
(1)時系列でみる要点整理
(2)助産所と嘱託医師についての最終概要
(3)産科における看護師等の業務の最終概要
5.社会保障審議会医療部会の意見
6.政策形成の一事例としての検討会の特徴
第3節 改定医療法の成立と助産所の未来
1.医療法の審議過程
(1)衆議院厚生委員会
(2)参議院厚生委員会
2.付帯決議とその内容
3.改定医療法のポイント
4.新しい厚生労働省令の策定:パブリックコメントの意義
(1)新しい厚生労働省令とその策定過程
(2)パブリックコメントと厚生労働省の「答」
5.改定医療法と新省令
第4節 第4章の結び
1.統計からみた助産所での出生の割合と出生数の変化
2.医療法第5次改定の特徴と助産所
3.政策形成過程からみた行政の力
4.「あり方検討会」と日母産科看護学院
5.日母の論理の矛盾
6.助産所をめぐる意見・研究の二極化
7.助産師と正常産の意義
第5章 日本医師会の「医師臨床研修制度」導入と日本産科婦人科学会の「医療提供体制検討委員会」設置
第1節 「医師臨床研修制度」の導入と医師不足の加速
1.医師臨床研修制度の発足
2.新制度の問題点
3.医師臨床研修制度の見直し:2009年3月から
4.疲弊加速のダイナミズム
第2節 日本産科婦人科学会の参入
1.産婦人科「医療提供体制検討委員会」の設置
2.二つの提案:3名以上の専任産婦人科医師と30分ルール
第3節 第5章の結び
第6章 厚生労働省の出産に関わる諸政策
第1節 厚生労働省事業の全体像
1.事業の2グループ化
2.第1グループの特徴
3.第1グループから第2グループへの移行期
4.第2グループの特徴
第2節 周産期医療対策整備事業
1.契機となった「母子保健法」改定
2.周産期医療対策整備事業の概要
3.周産期医療対策整備事業に至る諸研究
(1)竹村喬・武田佳彦・多田裕の研究成果
(2)多田らの研究成果と政策提言
(3)周産期医療対策整備事業の成果と進展
第3節 「オープン病院化」・「医療資源の集約化・重点化」事業へ
1.医療事故の急増と医療安全推進総合対策の策定
2.坂口力厚生労働大臣の「医療事故対策緊急アピール
3.周産期医療施設のオープン病院化
(1)長屋の妊産婦死亡の原因究明研究
(2)研究成果から集約化の提言へ
4.オープンシステム・セミオープンシステム
(1)オープンシステム・セミオープンシステムの定義
(2)中林の研究概要
(3)日母常務理事・田邊清男から日母会員への警鐘
5.小児科・産科における医療資源の集約化・重点化
(1)医師確保対策としての集約化・重点化
(2)連帯強化病医院・連携病院の設定としての集約化・重点化
(3)「集約化」の進め方
(4)「集約化」の根底にある周産期医療体制の狙い
第4節 「総合周産期母子医療センター」と「集約化・重点化」の内実
1.事件の概要
2.周産期医療体制の機能不全
第5節 第6章の結び
1.「周産期医療整備対策事業」の成果とは
2.「集約化・重点化」事業がもたらしたもの
3.今後の政策に向けて
終章 出産施設はなぜ疲弊したのか
第1節 三種の出産施設にみる疲弊
結論1
1.政府統計・野原士郎調査からみた診療所数・病院数の変動
(1)政府統計と野原調査の読み方
(2)診療所数・病院数の20余年間の変化とその特徴
2.診療所数減少と日母産科看護学院の衰退
(1)1980年代
(2)1990年代
(3)2000~2008年
(4)診療所と閉所と日母産科看護学院の負の遺産
3.病院の疲弊
(1)個人病院・医院の激減と日母産科看護婦
(2)公的な病院の疲弊と医師臨床研修制度
(3)病院疲弊の構造
4.助産所の疲弊
(1)助産所数の年次推移
(2)入所分娩を実施している助産所数
(3)嘱託医師確保の実態
5.全施設数の激減と被害者
第2節 出産を担う専門職者にみる疲弊
結論2
1.専門職資格とその行為の定義・解釈
(1)助産師の業務・助産の定義と解釈
(2)日母産科看護学院の分娩の介助の定義と解釈
(3)看護師の業務
(4)厚生労働省医政局看護課長の助産・助産業務の公式見解
(5)2007年の新たな局長通知
2.解釈の歪みがもたらしたもの
第3節 出産施設全体の連動関係と疲弊
結論3
1.各施設の疲弊要因の俯瞰
2.3施設の出産に対する考え方・判断基準・ポリティクス・時期
(1)助産所・助産師の場合
(2)日母・診療所の場合
(3)日本産科婦人科学会・病院の場合
3.出産施設の変化を規定した判断基準と時期・ポリティクス
(1)三つの判断基準と時期
(2)厚生省・厚生労働省の立場と政策
4.否定・排除による施設全体の疲弊
引用・参考文献一覧
政策関連引用・参考資料
あとがき
序章 出産をとりまく様々な環境
第1節 本書の問題意識と課題
1.なぜ生まれにくい社会・産みにくい社会に?
(1)助産環境・医療環境政策とその問題点
(2)ユーザーの関心と知識
(3)医療・医療者と向き合う
2.本書の課題と方法
(1)本書課題
(2)本書で用いる文献・資料
第2節 法的に認められた出産方法とその変容
1.五つの選択肢
2.各選択肢の根拠となる法律
(1)産婆規則・医制76条からの出発
(2)2007年3月までの「医療法」の構造と出産
(3)「医療法」第19条の解釈をめぐって
3.助産師の職能と業務範囲
4.医師と助産師の関係とヘゲモニー
第3節 なぜ出産は施設化されたのか
1.高度経済成長期と出産施設の増減
(1)第2次世界大戦後の出産施設の変動と三つの疑問
(2)出産施設の増減と就業助産婦の激減
2.出産の施設化を促した高度経済成長期の諸政策
3.出産の施設化を醸成した厚生省「母子健康センター事業」
(1)二つの政策目標
(2)「母子健康センター事業」は何をもたらしたか
第4節 助産から分娩管理・母子管理への方針転換
1.助産婦の減少と労働実態
2.「助産婦制度委員会」の発足とその懇談内容
3.助産婦制度委員会から母子管理委員会へ
(1)委員会の果てしないビジョン
(2)出産に対する主体の転換
第1部 診療所と日母産科看護学院の半世紀
第1章 日母産科看護学院の分析と先行研究
第1節 日母母性保護醫協会(日母※ニチボ)の時期区分と先行研究
1.日母という名称と会報
2.日母の結成と「優生保護法」制定
3.『日母会報』誌の資料分析と時期区分:1949年から2013年まで
第2節 日母産科看護学院に関する先行研究・問題意識
1.日母に対する批判:1979年・1989年
(1)藤田真一・大林道子らの言及
(2)衆議院内閣答弁書と諸研究
2.第2次世界大戦後の医療・医療者改革の概要:GHQ・日本政府と助産婦・看護婦・保健婦
(1)GHQ主導の「保健婦助産婦看護婦法」とその特徴
(2)日本政府による保助看法の一部改定
(3)職能団体の再編
(4)助産師養成・教育の変化
第2章 日母産科看護学院の半世紀
第1節 第1期:助産補助要員育成への準備期
1.日母による5回の要望:制度改正・准助産婦など
(1)「助産婦養成制度の一部改正」提案
(2)日母佐賀県支部から准助産婦という提案
(3)苦心の助産婦制度改正案
(4)愛知県支部浅井の提案と助産婦不足対策
(5)日母代議員大会での要望
2.厚生省の見解:助産婦は不足していない
(1)日母の要望に対する厚生省の見解
(2)厚生省「母子健康センター事業」で助産婦活用を
3.看護婦不足問題の発生:1960年から
(1)積極的な厚生省の対応
(2)助産婦制度には再度、否定的な見解
4.なぜ日母は准助産婦・産科補助要員を必要としたのか
(1)森山の記録から
(2)遺稿となった森の本音
(3)学院創設の本意とは
第2節 第2期:愛知県支部の開所から全国的な学院基準づくりへ
1.准助産婦養成校の開所:日母愛知県支部から
(1)開所の理由
(2)規則と細則
(3)出産ケアのあり方の転換
(4)後続して開所した学院について
2.緊急問題、勤務助産婦不足の追い風
(1)勤務助産婦不足の加速
(2)日本産科婦人科学会からの要請をはずみにして
3.産科看護学院モデル基準の作成へ
(1)「初代案」と「産科看護学院モデル基準」
(2)モデル基準作成後の根回し
4.正常分娩を誰が担うのか:会報に記された質疑から
(1)正常分娩の担い手は誰か
(2)正常産は助産婦に任せよう
5.日母産科看護学院の全国統一基準制定
(1)全国統一基準
(2)加筆修正過程にみられた特徴
6.産科看護学院の開所に対する意見
(1)『助産婦雑誌』で企画された座談会
(2)勤務助産婦が働く産科医療現場とは
第3節 第3期:日母産科看護学院の全国展開とそれに対する批判
1.設立から四半世紀の概観
(1)学院の開所年・開所地域と卒業生数
(2)全国日母産科看護学院連絡協議会の開始
2.開所から10年を経て:ライセンス問題
(1)卒業生調査と聴講生(無資格者)
(2)ライセンス問題の背景
(3)開所10年後の日母の考え方
3.女性医療職の不足解消・資質向上対策と日母
(1)1974年の「看護婦需給5か年計画」と日母の対応
(2)准看護婦養成の中止を求める日本看護協会と日母の対応
4.日母批判の台頭
(1)『出産白書―3361人の出産アンケートより―』
(2)富士見産婦人科事件と日母
(3)産婦人科110番と日母
(4)朝日新聞記者藤田真一の批判内容
5.第3期のまとめ:開所から10年後・20年後の日母
第4節 第4期通期:全体像
1.学院基準等の改定・変更
(1)第1回目の改定
(2)第2回目の改定
(3)第3回目の改定(基準・カリキュラム変更・特別研修生の新設)
(4)第4回目の改定(養成から研修へ)
(5)第5回目の改定(日母産科看護婦・同准看護婦からコ・メディカルへ)
(6)日母・医会の名称変更
(7)基準改定前の出来事
2.日母産婦人科看護研修学院の終焉:2005年
3.学院の開所・休所数と入学・卒業者数
4.学院開所をめぐる医師の反省と疑問:助産、内診をめぐって
5.同時代の産の風景
6.医療事故の急増と日母の対応
第5節 第4-1期:無資格者の医療行為に対する綱紀粛正過程
1.厚生省・衆議院などによる日母への調査・問い合わせ
(1)厚生省による准看護婦の実態調査
(2)厚生省に対する日母の報告
(3)再び厚生省調査と立ち入り検査
(4)衆議院:阿部知子議員の質問主意書と総理大臣答弁書
(5)報道紙・被害者団体からの批判
(6)厚生労働省医政局長からの厳しい通知
2.日母から学院・卒業生等への注意喚起
(1)日母本部から学院への発信
(2)日母本部が全国に注意喚起することの重み
3.閉鎖が進む個人病・医院:野原士郎の1990年・2000年施設調査から
第6節 第4-2期:看護師・准看護師の助産行為に対する綱紀粛正過程
1.厚生労働省医政局長通知と日母
(1)学院存続に前向きな日母
(2)多発する産婦人科関連事故と厚生労働省の対策
2.助産・内診、診療の補助をめぐる問い合わせ
(1)第1回目の「助産」の定義について(鹿児島県保健福祉部長に対する厚労省看護課長の回答)
(2)南野千恵子議員に対する医政局長篠崎英夫の答弁
(3)第2回目の「助産・診療の補助」の定義(愛媛県保健福祉部長に対する厚労省看護課長の回答)
3.日母による産科看護学院用「分娩介助」の解釈
(1)定義・表現の推移
(2)日母の撤回要望と医療問題弁護団等からの反論
(3)日母産婦人科看護研修学院の本部からの廃止
第7節 日母産婦人科看護研修学院の廃止後
1.助産・内診、診療の補助をめぐる議論の再燃:2007年3月末
(1)医療法施行2日前に出された「厚生労働省医政局長通知」
(2)日本看護協会の対応
(3)日母の対応
(4)分娩関連団体と医政局長との懇談
2.日母産科看護婦の将来は
(1)日母の行動
(2)厚生労働省の行動・施策
第3章 日母産科看護学院の隆盛・衰退
第1節 第1期から第4期までの特徴
1.四つの期の概要
2.第1期:立ち上げ準備期にみる日母の要望とその質
(1)要望と質の低下
(2)出産に対する理念と医療専門職のとらえ方
3.第2期:基礎形成期における違法行為を含む基準づくり
4.第3期:進展期における学院数・卒業生数の増加と就業先
(1)学院数の増加と組織形成の整備・内容の充実
(2)日母の卒業生と診療所の関係
(3)医師を中心とした分娩管理チーム
5.第4期:衰退期における社会からの批判と2回の綱紀粛正
(1)衰退期の第1段階
(2)衰退期の第2段階
(3)衰退期の第3段階
第2節 誰のための出産医療か
1.医師がライセンスを与えるというプライド
2.日母産科看護学院の役回り
第2部 助産所・病院の疲弊と厚生省政策
第4章 助産所の疲弊と医療法第5次改定の経緯
第1節 医療法改定前の助産所関連調査
1.厚生労働科学研究:青野敏博らの総合的調査
青野を代表とするプロジェクト研究の概要
厚生省・厚生労働省のプロジェクト「健やか親子21」
2.助産所の意義を示す三つの調査
3.日母会員による助産所調査:可世木調査
(1)調査目的とその意図
(2)調査結果と可世木の「嘱託医師委属契約書(案)」
(3)可世木調査の問題点
第2節 医療法第5次改定に向けた検討会
1.「医療安全の確保に向けた保健師助産師看護師法のあり方検討会」(あり方検討会)の概要
(1)検討会の位置づけ
(2)検討会メンバー
2.検討会の各議題
3.議論の要点
(1)前半の検討会議
第1、2回検討会
第3回検討会
第4、5、6回検討会
(2)第7回検討会
(3)第9回検討会
(4)第12、13回時に出された意見書の概要
4.厚生労働省によるまとめとその推移
(1)時系列でみる要点整理
(2)助産所と嘱託医師についての最終概要
(3)産科における看護師等の業務の最終概要
5.社会保障審議会医療部会の意見
6.政策形成の一事例としての検討会の特徴
第3節 改定医療法の成立と助産所の未来
1.医療法の審議過程
(1)衆議院厚生委員会
(2)参議院厚生委員会
2.付帯決議とその内容
3.改定医療法のポイント
4.新しい厚生労働省令の策定:パブリックコメントの意義
(1)新しい厚生労働省令とその策定過程
(2)パブリックコメントと厚生労働省の「答」
5.改定医療法と新省令
第4節 第4章の結び
1.統計からみた助産所での出生の割合と出生数の変化
2.医療法第5次改定の特徴と助産所
3.政策形成過程からみた行政の力
4.「あり方検討会」と日母産科看護学院
5.日母の論理の矛盾
6.助産所をめぐる意見・研究の二極化
7.助産師と正常産の意義
第5章 日本医師会の「医師臨床研修制度」導入と日本産科婦人科学会の「医療提供体制検討委員会」設置
第1節 「医師臨床研修制度」の導入と医師不足の加速
1.医師臨床研修制度の発足
2.新制度の問題点
3.医師臨床研修制度の見直し:2009年3月から
4.疲弊加速のダイナミズム
第2節 日本産科婦人科学会の参入
1.産婦人科「医療提供体制検討委員会」の設置
2.二つの提案:3名以上の専任産婦人科医師と30分ルール
第3節 第5章の結び
第6章 厚生労働省の出産に関わる諸政策
第1節 厚生労働省事業の全体像
1.事業の2グループ化
2.第1グループの特徴
3.第1グループから第2グループへの移行期
4.第2グループの特徴
第2節 周産期医療対策整備事業
1.契機となった「母子保健法」改定
2.周産期医療対策整備事業の概要
3.周産期医療対策整備事業に至る諸研究
(1)竹村喬・武田佳彦・多田裕の研究成果
(2)多田らの研究成果と政策提言
(3)周産期医療対策整備事業の成果と進展
第3節 「オープン病院化」・「医療資源の集約化・重点化」事業へ
1.医療事故の急増と医療安全推進総合対策の策定
2.坂口力厚生労働大臣の「医療事故対策緊急アピール
3.周産期医療施設のオープン病院化
(1)長屋の妊産婦死亡の原因究明研究
(2)研究成果から集約化の提言へ
4.オープンシステム・セミオープンシステム
(1)オープンシステム・セミオープンシステムの定義
(2)中林の研究概要
(3)日母常務理事・田邊清男から日母会員への警鐘
5.小児科・産科における医療資源の集約化・重点化
(1)医師確保対策としての集約化・重点化
(2)連帯強化病医院・連携病院の設定としての集約化・重点化
(3)「集約化」の進め方
(4)「集約化」の根底にある周産期医療体制の狙い
第4節 「総合周産期母子医療センター」と「集約化・重点化」の内実
1.事件の概要
2.周産期医療体制の機能不全
第5節 第6章の結び
1.「周産期医療整備対策事業」の成果とは
2.「集約化・重点化」事業がもたらしたもの
3.今後の政策に向けて
終章 出産施設はなぜ疲弊したのか
第1節 三種の出産施設にみる疲弊
結論1
1.政府統計・野原士郎調査からみた診療所数・病院数の変動
(1)政府統計と野原調査の読み方
(2)診療所数・病院数の20余年間の変化とその特徴
2.診療所数減少と日母産科看護学院の衰退
(1)1980年代
(2)1990年代
(3)2000~2008年
(4)診療所と閉所と日母産科看護学院の負の遺産
3.病院の疲弊
(1)個人病院・医院の激減と日母産科看護婦
(2)公的な病院の疲弊と医師臨床研修制度
(3)病院疲弊の構造
4.助産所の疲弊
(1)助産所数の年次推移
(2)入所分娩を実施している助産所数
(3)嘱託医師確保の実態
5.全施設数の激減と被害者
第2節 出産を担う専門職者にみる疲弊
結論2
1.専門職資格とその行為の定義・解釈
(1)助産師の業務・助産の定義と解釈
(2)日母産科看護学院の分娩の介助の定義と解釈
(3)看護師の業務
(4)厚生労働省医政局看護課長の助産・助産業務の公式見解
(5)2007年の新たな局長通知
2.解釈の歪みがもたらしたもの
第3節 出産施設全体の連動関係と疲弊
結論3
1.各施設の疲弊要因の俯瞰
2.3施設の出産に対する考え方・判断基準・ポリティクス・時期
(1)助産所・助産師の場合
(2)日母・診療所の場合
(3)日本産科婦人科学会・病院の場合
3.出産施設の変化を規定した判断基準と時期・ポリティクス
(1)三つの判断基準と時期
(2)厚生省・厚生労働省の立場と政策
4.否定・排除による施設全体の疲弊
引用・参考文献一覧
政策関連引用・参考資料
あとがき